光圀公・水戸藩

水府流水術

水戸市指定文化財
水府流水術協会【電話・FAX】029-225-1002

photo 水戸藩では、水泳の鍛錬(たんれん)を重視した頼房公と光圀公の下でさまざまな泳法が発達しました。また、それまで武士のみに教えていた水術を、庶民の身を守るため一般にも広めるように命じたのが、光圀公といわれています。当初は水戸殿泳ぎ・水府游ぎと呼ばれた水府流は、元禄10年(1697)島村正廣が水戸城下北西の那珂川に稽古場を設けてから、島村流を唱える正廣の「上町泳ぎ」と、福地道利・小松正永らが水戸城のすぐ下の那珂川を稽古場とした「下町泳ぎ」との2系統に分かれました。文政期、斉昭公の武芸流派統一事業の中で、藩の水術は「水府流水術」と名付けられ両系統は統一されましたが、明治期以後は再び「上町」「下町」の二系統にわかれました。現在は、昭和45年(1970)に一本化し両系統で組織した水府流水術協会が、県・市等の後援の下、水戸市指定無形文化財の保持団体として、伝承・普及につとめています。水府流の泳法は「のし泳ぎ」を基本とし、横体のほか平体・立体・飛込・潜水・浮身など、 180種類もの泳ぎの型が伝わっています。

photophoto
photo