史跡(神社、仏閣、遺跡、墓所)

六地蔵寺

【場所】六反田町767
【電話】029-269-2211

 六反田町の六地蔵寺は真言宗豊山派(ぶざんは)に属し、倶胝密(ぐてみつ)山聖宝院といいます。古くは、地蔵堂として近隣の信仰を集めていましたが、応永・永享(室町時代)の頃、宥覚(ゆうかく)により寺としての規模が整えられ、六蔵寺と称されました。さらに応仁の大乱の後、中興第三世恵範法印(えはんほういん)により数多くの貴重な書物が書写収集されました。恵範は、土室を書斎として学問をしたので、自らを土竜(もぐらのこと)恵範と称しました。江戸時代になって、義公が恵範の学徳に感じて、恵範が収集・著述した典籍に修理を加え、境内に収蔵庫を建設して「法宝蔵(ほうほうぞう)」と名付け、さらに貴重なものの副本を作るなど、典籍の保存に努めました。 
 塙保己一(はなわほきいち)の「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」には、六蔵寺本の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」と「六地蔵寺過去帳(かこちょう)」が収録されています。
 明治42年「法宝蔵」修理の際、床下から慶長小判30枚、他の小判6枚が発見されましたが恐らく光圀公(義公)の計らいであろうと考えられています。
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 昭和になって、東大の平泉澄(ひらいずみきよし)博士が本格的な史料調査を行い、後に慶応大学の阿部隆一博士が再調査を実施し、蔵書目録が完成しています。蔵書典籍1975、文書479通は県指定文化財、山門も同じく県指定文化財で、その他の文化財も数多い。境内には樹齢千年をこえる大スギや光圀公ゆかりのシダレザクラがあり、墓地には立原翠軒(すいけん)や栗田寛(ひろし)の墓があります。
 
 
 
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