史跡(神社、仏閣、遺跡、墓所)

吉沼観音寺跡

【場所】吉沼町

 吉沼町に無住の観音堂があります。中世には光明山観音院と称し、「水戸十寺の一」に数えられる名刹でしたが、光圀公(義公)の時代寛文年間(1661〜1672)に廃寺になり、後にその跡に川崎から観音寺が移されました。明和元年(1764)には長野の善光寺の出開帳が行われるなど参詣者でおおいに賑わいました。
 寛政の三奇人の一人高山彦九郎が、寛政2年(1790)6月30日にここを訪ね、「吉沼村観音堂大也(だいなり)」と日記(「北行日記」)に記していますから、当時は堂々たる大廈(たいか)であったことが知られますが、幕末に火災で焼失した後は仮堂のまま現在に至っています。
photo  本尊の木造阿弥陀如来立像は、定朝(じょうちょう)様式で平安末期か鎌倉初期の作と考えられ、水戸市の文化財に指定されています。裏手には無縁仏の墓碑を組み重ね転用石として基壇を組み、その上に無縁供養塔が建立されています。宝永6年(1709)11月17日の日付が刻まれた石像阿弥陀三尊像や、享保年代の地蔵菩薩像なども残されており、元禄年代の墓石なども見られます。