自然・公園・文化

笠原水道

(県指定文化財)
【場所】笠原町933外

 水戸の下市は、田町といわれたように、低湿地を埋め立てて造成されたために水が悪く、飲料水に不自由していました。
 光圀公(みつくにこう)(義公(ぎこう))は藩主就任直後の寛文2年(1662)、町奉行望月恒隆(もちづきつねたか)に水道設備を命じました。その調 査に当った平賀保秀は笠原を水源地に選び、工事は永田勘衛門(ながたかんえもん)が担当して笠原から逆川に沿い藤柄町(ふじがらちょう)まで岩樋(いわど い)を用いた暗渠(あんきょ)を作り、備前堀を銅樋(どうひ)で渡して市街に入り、細谷まで全長約10.75kmの水道を翌年完成しました。この水道は昭 和7年に全市水道が完成するまで、下市の上水の主たる供給源でありつづけました。今も水源地には藤田幽谷撰文(せんぶん)の「浴徳泉記(よくとくせんの き)」の碑が建っています。

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