自然・公園・文化

祐養園碑・義公腰掛石

【場所】文京(旧渡里町)

 この祐養園碑は文京(旧渡里町)、鈴木家の旧敷地内にあり、光圀公(義公)に仕えた鈴木重時の隠棲地の庭園「祐養園」の跡地です。重時は初め祐養と号しましたが、後に光圀公から号を賜り勇山(ゆうざん)と改めました。食禄三百石。勇山は兵学者として知られ、四十歳過ぎて隠居してこの地に移り、造園に着手しました。約一町歩(約3,300)の園内に三十三景の林泉を設け、詩文を愛する人々を招いて庭園の景色を楽しみ、歌詩を作ったりしました。「祐養園碑」は、元禄11年(1698)10月9日、ここを訪れた光圀公が作った詩を刻んだもので、高さ約1メートル、幅65センチの青石自然石です。その碑陰(ひいん)には勇山自ら、光圀公への感謝の辞を述べ、宝永3年正月5日に建碑した旨を認めています。
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- 祐養園碑(奥左)腰掛石(奥右)勇山の墓(手前)-

この碑の傍らにある「義公腰掛石」は、横75cm、高さ40cmほどの自然石で、上部が扁平になっており、その石の前面に二首、横面に一首の和歌が刻んであります。勇山の墓もその側にあります。現在、「祐養園」は竹林と住宅地となり、往時を偲ぶことができませんが、当家には勇山関係の多くの貴重な史料が伝えられ、昨年、その一部が祐養園研究会から出版されました。現地の入口には水戸市教育委員会が設置した「祐養園碑・義公腰掛石」の石柱があります。
 
 
 
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