光圀公・水戸藩

水戸学

水戸の学問が他藩からも注目されるようになったのは天保年間以後の頃で「天保学」「水府の学」などと呼ばれ、明治以後になって「水戸学」というようになり、現在では前期・後期を含めて「水戸学」と言われています。

『大日本史』の編纂(へんさん)事業を続けて行く間に、水戸藩の中で次第にできあがって来た学問のことで、光圀公時代から18世紀の始めまでの『大日本史』の本紀・列伝の編纂に取り組んだ前期と、斉昭公の時代の18世紀末期から幕末にかけての、『大日本史』編纂事業の継続と、当時の時局問題の解決にも目を向けた後期とに区別して論じられています。
 水戸の学問が他藩からも注目されるようになったのは天保年間以後の頃で「天保学」「水府の学」などと呼ばれ、明治以後になって「水戸学」というようになり、現在では前期・後期を含めて「水戸学」と言われています。
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- 常磐神社 義烈館所蔵-
 『大日本史』は、天皇の本紀にはじまり、皇后・諸臣の列伝、神祇志(じんぎし)、仏事志(ぶつじし)などの十志、など全397巻目録5巻という膨大なもので、編纂事業は明暦3年(1657)にはじまり明治39年(1906)まで、250年という永い年月をかけて完成しました。