
朝房山は『常陸国風土記』にほ時臥(くれ(ほじ)ふし)山と記され、神蛇が瓮(かめ)(甕)の中で育てられるという説話が詳述されています。古代の人々は、蛇を山の神・水神・農耕神として崇め、畏怖してきました。神話の大物主神(おおものぬしかみ)(大己貴命(おおなむらのみこと))が示現したものとも信じられていました。瓮(甕)は酒をかもす霊威あるものとして祈りの対象で『万葉集』にも「斎瓮(いわいべ)」の歌が多く残っています。
坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が大伴家持に贈った歌に、
草枕 旅行く君を 幸くあれと 斎瓮すゑつ 我が床(とこ)の辺(へ)に
とあり、結城郡出身の防人は、次のように歌っています。
大君の 命(みこと)にされば 父母を 斎瓮と置きて 参(ま)ゐで来にしを
ところが那賀郡出身の防人、大舍部千文(おおとねりべのちふみ)は、
霰降(あられふ)り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ)に 我は来にしを
と鹿島の神に祈っています。
鹿島の神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で、武(タケ)は美称、甕槌(ミカヅチ)は「甕ツ蛇(みかつち)」と訓むことができます。香取の神は経津主 (ふつぬし)命で、フツヌシは「瓮ツ主(へつぬし)」と訓むことができます。『常陸国風土記』のほ時臥山説話は、蛇神信仰から甕の神(鹿島・香取神)信仰に移っていたことを物語る説話と考えられます。
藤内神社(祭神・経津主命)の祝詞に「養老五年、朝房山の峰に霊光が輝き、その光が藤内郷にとどまった」とあります。有賀神社(祭神・布津主命、武甕槌命)は、「建借馬命が郡西の要地藤内に鎮斎した」と伝承され、もとは藤内に祀られ、のち現在の有賀に移されました。

近年、「朝房山を国指定史跡にしよう」という目標で、「朝房山・風土記くれふし山の会」(代表・河原井忠男氏)が結成され、朝房山の顕彰に努めています。平成十七年に会員の努力により、展望台が完成し、説明板も設置されました。
歴史の街の水戸、その始まりの史跡もまた大事にしたいと願っています。