史跡(神社、仏閣、遺跡、墓所)

常照寺と吉田城跡

―傍に天満宮(てんまんぐう)と水戸(みと)電気鉄道の遺構(いこう)―
【場所】元吉田町2723
【電話】029-247-7172

photo 元吉田町の台地にある常照寺は臨済宗大徳寺派に属し、山号を仏日山(ふつにちさん)といい、境内の一帯は中世の吉田城跡で、周囲に土塁や空掘が残っています。
 この寺は光圀公(みつくにこう)(義公(ぎこう))が、大徳寺の仰堂(ぎょうどう)和尚を迎えて創建しようと考えていましたが、二人とも没してしまったので、元禄13年の暮れに敬峯(けいほう)和尚により仏日山常照禅寺(じょうしょうぜんじ)として創建されました。
 現在の本堂は天明6年(1786)の再建で、境内には水戸墨拓の咸章堂岩田健文(かんしょうどういわたたけぶみ)や画家の萩谷遷喬(はぎのやせんきょう)の墓があります。また裏庭には筆塚があり、明和4年(1767)の名越南渓(なごやなんけい)の撰文が刻されています。この筆塚はかつて天満宮の傍にあったものですが、昭和8年に水戸電気鉄道会社の路線用地となったために移されたものです。同時に台地の下にあった天満宮も現在地に移されました。この天満宮は、奉納神鏡銘によって元禄13年に光圀公により創建されたことが知られています。
photo  常照寺の山額「仏日山」は光圀公の書で、また、侍女左近局が奉納した光圀公自筆の「楷法千字文(かいほうせんじもん)」も伝えられています。
 常照寺西側入口角のコンクリート壁は、水戸電気鉄道の遺構です。