
この寺は光圀公(みつくにこう)(義公(ぎこう))が、大徳寺の仰堂(ぎょうどう)和尚を迎えて創建しようと考えていましたが、二人とも没してしまったので、元禄13年の暮れに敬峯(けいほう)和尚により仏日山常照禅寺(じょうしょうぜんじ)として創建されました。
現在の本堂は天明6年(1786)の再建で、境内には水戸墨拓の咸章堂岩田健文(かんしょうどういわたたけぶみ)や画家の萩谷遷喬(はぎのやせんきょう)の墓があります。また裏庭には筆塚があり、明和4年(1767)の名越南渓(なごやなんけい)の撰文が刻されています。この筆塚はかつて天満宮の傍にあったものですが、昭和8年に水戸電気鉄道会社の路線用地となったために移されたものです。同時に台地の下にあった天満宮も現在地に移されました。この天満宮は、奉納神鏡銘によって元禄13年に光圀公により創建されたことが知られています。

常照寺西側入口角のコンクリート壁は、水戸電気鉄道の遺構です。