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水戸商工会議所・水戸市東部地方の歴史と伝統ガイド「歴史と伝統の東部巡り」
仏閣

蓮乗寺/六地蔵寺/宝鏡院不動尊

蓮乗寺(れんじょうじ)
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永禄元年(1558)水戸城中に未だ日蓮宗の寺院がないことを嘆いて水戸城主江戸但馬守の要請によって、大本山中山法華経寺の日院上人の高弟で秀才であった正覚院日慈上人が水戸府下の上寺町に創建し、後に吉田の木澤新田を経て、現在の古宿の地に移った。天保14年(1843)藩命により廃寺となる。明治34年(1901)になって、宇都宮妙正寺より平山日鋼師を迎えて再興を計画したが、当の日鋼師の死によって中断してしまった。よって水戸の本行寺の大森日勝が師の遺志を引き継いで再建に精励し、本堂を建立。亡き日綱上人を以って中興の開基とした。当地は「宗祖弘長元年2月9日神道伝授のため吉田の里に来入す」と伝えられる聖域であります。


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六地蔵寺
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 六反田町の六地蔵寺は真言宗豊山派に属し、倶胝密山聖宝院という。古くは、地蔵堂として近隣の信仰を集めていたが、応永・永享(室町時代)の頃、宥覚により六蔵寺と称されるようになる。さらに応仁の大乱の後、中興第三世恵範法印により数多くの書物が書写収集された。恵範は土室を書斎として学問をしたので土竜(もぐらのこと)恵範と称した。江戸時代に義公は境内に収蔵庫を建設して「法宝蔵」と名付け副本を作り、修理を加え、典籍の保存に努めた。
 明治42年「法宝蔵」修理の際、床下から慶長小判30枚、他の小判6枚が発見されたが、埋蔵者は不明で、恐らく義公の計らいであろうと考えられている。
 塙保己一の「群書類従」には、六蔵寺本の「神皇正統記」と「六地蔵寺過去帳」が収録された。
 昭和になって、東大の平泉澄博士が本格的な史料調査を行った。後に慶応大学の阿部隆一博士が再調査を実施し、蔵書目録が完成した。蔵書典籍1975、文書479通は県指定文化財、山門も同じく県指定文化財である。その他の文化財も数多い。境内には樹齢千年をこえる大スギや義公ゆかりのシダレザクラがある。墓地には立原翠軒や栗田寛の墓がある。
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宝鏡院不動尊
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真言宗醍醐寺の末寺で、如意山大幢寺宝鏡院と号し、御朱印二十石を受けた名刹の一つであった。領内では醍醐寺系の中本寺で本寺格の寺として藩内僧侶の習学道場となり、真言宗四壇林の一つに選ばれていた。現在境内に不動明王を祀った堂宇があり、「お不動さま」として地域の人々から慕われている。
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