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水戸商工会議所・水戸市東部地方の歴史と伝統ガイド「歴史と伝統の東部巡り」
モニュメント
ハミングロード本町3丁目商店街その他
ハミングロード
サイン
作家のサイン
車道を一方通行にし、歩道の幅を最低3.5m以上確保するという、まさに毎日歩行者天国の商店街。歩道にはさまざまなストリートファニチャーが置かれ、芸術作品があふれている。全長513m往復1Kmの商店街を散策しながら、モニュメントがどこにあるか探してみよう!

※写真をクリックすると拡大した写真を見ることができます。
photo 01.延光
作者:六崎敏光
輝かしい未来に心を向けて立つ像で、希望に満ちた広がりを表しています。
photo 02.木馬の歌
作者:山崎猛
幼きころの夢を描きながら、人間愛と将来への希望を託してみました。像に触れてどぅぞ可愛がってください。
photo 03.鳥が飛ぶ日に
作者:中村義孝
忙しい現代社会において、鳥と戯れるような豊かな余裕のある心を持ちつづけたい。そうした意味の鳥と女性の造形です。
photo 04.ミチシルベ83-A
作者:星真子
自己確認のためのミチシルベとして表現してみました
photo 05.遠い記憶
作者:林田滋
 
photo 06.幼影の像
作者:後藤清一
明治26年(1893)本3丁目(現・本町2)に誕生した彫刻家で、東京美術学校を卒業し構造社展に出品、のち帝展に招待され、文展・日展の審査員・評議員・参与を歴任しました。ロダン以来の近代彫刻に学びながらも生涯を通して東洋古代美術を構想の因とし、自己の信仰と思索の象徴としての造型を研究し、昭和59年に亡くなり善重寺に埋葬されました。
photo 07.玉響
作者:張子隆
photo 08.Lyra
作者:津野充聡
Lyra(古代ギリシャの小竪琴)を持つ婦人像を元に豊かな詩情と爽やかな琴の音を表現しました。


photo 09.街角の詩
作者:高嶋文彦
街角を歩いて出会いそうな日常的な風景の一部分を切り取って石に表現し、日常的な空間に置いた時の素材と周囲との詩を表現


photo 10.走る女
作者:アンジェロ・ファルチカーノ
photo 11.雙影
作者:中根達矢
photo 12.座る女
作者:レナード・カンポネスキー
photo 13.犬と口笛
作者:小鹿尚久
photo 14.かがむ女
作者:三谷 慎
photo 15.ミス・サフォーク
作者:小林一夫
女性のイメージに、サフォーク(羊)をオーバーラップさせ、四角い石の塊として存在させました。
photo 16.風に向って
作者:岩沢 勇
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17.題名なし

作者:谷津 喜美代
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18.親子像

作者:山崎猛
photo 19.野口雨情童謡碑 四丁目の犬

 明治15年(1882)~昭和20年(1945)磯原に誕生した詩人・作詩家で本名を英吉といい、「船頭小唄」や「雨降りお月さん」「赤い靴」「七つの子」「しゃぼん玉」など多くの名作を残しています。「四丁目の犬」は水戸在住中の大正9年(1934)童謡雑誌「金の舟」に発表され、本居長世により作曲されました。
 「四丁目の犬」一丁目の子供 駆け駆け帰れ 二丁目の子供 泣き泣き逃げた 四丁目の犬は 足長犬だ 三丁目の角に 此方(コッチ)向いて居たぞ

photo 20.竜頭共用栓(笠原水源)
 初代藩主頼房は寛永4年(1627)吉田村の溜池から用水を取る事業を行いますが、降雨の時は濁って飲料水に不自由をしていた為、光圀は藩主就任の年の寛文2年(1662)に町奉行望月恒隆に命じ、調査に当たった平賀保秀は笠原不動谷の湧水を水源と決めて、逆川に沿って千波湖南岸より藤柄町まで岩樋を使い、備前堀銷魂橋を銅樋(ドウヒ)で渡して細谷まで約10kmの水道工事を永田勘衛門をして翌年完成させました。
 笠原水源は300有余年を経て、なお涸れることのない偉大な遺産でありこの竜頭栓は、明治時代の清水道の大改修により町角に数十基設置され多くの人々が利用しました。平成元年市制施行100周年を機に本市水道の発祥の地に復元し、先人の英知と水の保全を後世に伝えています。
photo 21.達磨像
 
 
本町3丁目商店街
photo 22.栗田寛(クリタ ヒロシ)像
 明治時代の学者で、本6町目(現・本町3丁目)の町人学者の家に天保6年(1835)に生まれて石河明善に師事し、藤田東湖や会沢正志斎に学び、彰考館総裁豊田天功に認められて幕末の党争にもとらわれず学問を探究しました。また家塾「輔仁学舎」を開き清水正健・菊池謙二郎などの後進の養成に力を注ぎ、東京帝国大学の教授となった後も大日本史の志・表の編著の継続と完成に尽力し、明治31年(1899)に没した後は、養子の勤(イソシ)達に受け継がれ、明治39年(1906)光圀公以来250年に及ぶ大日本史(本紀・列伝・志・表の397巻と目録5巻の計402巻)の大事業を完成させました。
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23.浜田かえる像

 平成8年(1996)に本町3丁目の商店会によって下市本町3丁目の十字路角に設置された。その由来についての解説文によると、「今から70年程前、小学校がこの地に移転して以来浜田区のシンボルとなっている。住処を譲ってくれたかえるに感謝し、子供達の健やかな成長と安全―無事かえる―を願い、此処にこの像を設置する」とある。
その他
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24.母性愛の像

崇高な母親の愛情を表現しています。我が身をけずって子に与える親鳥の姿に愛の極致を見ることができます。
※浜田小学校の敷地内にありますので、見学する場合は、職員室に一声かけて見学して下さい。
【木内克】
明治25年(1892)根積町(現・柳町)に誕生し、戦後大きな足跡をしるした彫刻家です。20才の時に上京して朝倉文夫の塾で学び、大正10年(1921)に渡仏、パリ在住15年におよび、その間プールデルに師事し、やがてギリシャのアルカイック彫刻に啓示を受けて独自の作風を築きあげました。特に人体像による自在で柔軟なそのフォルムは比類のないものとして高い評価を得て、昭和52年(1977)に没し酒門共有墓地に埋葬されました。
詳細 下市・吉田歴史散歩コース
詳細 地図
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