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水戸商工会議所・水戸市東部地方の歴史と伝統ガイド「歴史と伝統の東部巡り」
史跡

千束原追鳥狩本陣跡|観音寺跡|常陸山谷右衛門生誕地碑

千束原追鳥狩本陣跡(市指定史跡)
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天保11年(1840)に水戸9代藩主斉昭公は、欧米列強の我国周辺に迫る情勢に憂えて、騎士3000人、雑兵約20000人に甲冑の武装をさせ城中より千束原まで行軍して旗弓槍鉄砲を用いた第1回追鳥狩を作法に従って行っています。弘化元年(1844)には後に15代将軍となった慶喜公(7才)も父・斉昭公に随行し、千波原で追鳥狩を行っています。その後、千束原の本陣跡には、元治元年(1864)村民が小祠を立てて斉昭公を祀り、明治になって常磐神社と称して今に至っています。

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観音寺跡(阿弥陀如来)
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この地には光明山観音院があり、寛文年間(1661-72)に廃却され、その跡に川崎から移された観音寺は天台宗水戸10ケ寺の1つと言われた古寺です。天明元年(1781)には長野善光寺の出開帳が行われ参詣者でにぎわいましたが幕末に火災で焼失しました。しかし今も残る木造阿弥陀如来立像は、定朝様式の平安時代末期か鎌倉時代初期の名作で市指定文化財となっています。
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常陸山谷右衛門生誕の地碑
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明治・大正時代の出羽海部屋の名力士で、明治7年(1874)代々藩主の師範役を勤める水戸藩士市毛高成の長男として宝鏡院門前町(現・城東1)に生まれ、同36年第19代横綱となり「角聖」とうたわれました。相撲界に礼儀第一の思想を持ち込み、国技館建設・初の海外興行など相撲協会の発展に尽くすと供に、郷里の備前堀に常陸山橋を掛けたり磯節を広めるなどし49才で亡くなりました。
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