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水戸西部 散策
写真
23歳で横綱
常陸山右衛門 像
武道館の敷地内に明治の名横綱「常陸山谷右衛門像」が建っている。
第19代横綱、常陸山(本名:市毛谷)は三の丸で産まれ、水戸中学卒業後、早稲田受験のため、京都の叔父のもとへ。しかし、本人は相撲人となることを終生の夢としており、叔父に希望を打ち上げた。
叔父は京都武徳殿の初代館長で、武術に対する理解はあったものの、当時は芝居役者と相撲取りはいやしい職業と差別されており、武家出身の谷は父の承諾を望めないものの、叔父への説得を続けていた。
ある日、叔父が武徳殿の池の畔にある約三十貫(112.5キロ)を指差して「あの石を持ち上げることができたら望みを叶えてやる」といったところ、谷は書生姿で高下駄を履いたまま、その石を軽々と持ち上げてしまったという逸話が残っている。
その後、当時の出羽海部屋を預かっていた水戸出身の五十嵐に弟子入り。18歳で初土俵を踏み、明治36年、23歳で横綱となった。強豪横綱梅ケ谷との名勝負は今もって語り継がれている。
梅ヶ谷が正攻法と鋭い出足で追い詰めるものの、常陸山自慢の豪力によって、梅ヶ谷の必死の猛攻が一撃で覆ってしまう場合が多かった。
梅ヶ谷が前日の故障のため休んだことで取り組みが不成立となると、観衆の怒りが鎮まらず大騒ぎとなり、検査役が土下座してその場を収めたこともあるほどの人気取り組みであった。
写真 常陸山谷右衛門像

史跡
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