史跡(神社、仏閣、遺跡、墓所)

加倉井館址と妙徳寺

【場所】加倉井町909
【電話】029-251-8205

 この館址(かんし)は、加倉井山妙徳寺の境内から東に広がる、東西220m、南北110mのやや不規則な長方形をなしています。現在の遺構から、二重の土塁と一本の空堀に囲まれた、戦国時代後期の様式の館式平城(かんしきひらじろ)と考えられます。現在、妙徳寺の山門の前にある溝は館址の南限の空堀または水濠の名残です。
 妙徳寺は、鎌倉時代の永仁元年(1293)、加倉井の領主であった波木井実氏(はきい《さねうじ》)が、日蓮門下の日高を開山として、母の妙徳尼の菩提のために建立した寺です。波木井(「はきり」「はぎり」などとも読む)氏は鎌倉の有力御家人の一で、山梨の波木井(現在の身延(みのぶ))を領して氏としたのですが、一族みな日蓮の熱心な外護(げご)者(在俗の精神的・物質的な仏寺の援助者)として著名です。実氏は波木井実長《さねなが》の子で、この妙徳寺は、水戸地方における日蓮宗の最初の寺となりました。
photo水戸の波木井氏は南北朝期に加倉井(かくらい)を称して江戸氏の有力武将となり、代々外護につとめたので、妙徳寺は退転することなく存続し、現在も子孫の方がこの館址に住んでおられます。日蓮は旅の途中武蔵池上で入寂しましたが、その旅は実氏を頼っての、常陸の湯(水戸ゴルフ北―八幡太郎義家の伝説がある)での湯治を目指したものとも伝えられています。
 また、国道を隔てた南には、和田平助(神應寺のページ参照)の自刃の地と伝える千日堂のある中根寺(真言宗)などがあります。
 
※人名の読み方で不確実なものは、ふりがなを《》でくくりました。
 
 
 
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