暮鳥は牧師でしたが、近代詩人を代表する一人として有名です。明治17年(1884)1月10日、群馬県群馬町の農家に生まれ、本名は小暮八九十。家は複雑で貧しく、小学校高等科を中退し小学校の代用教員をしながら夜は近くのお寺で漢籍を学び、18歳で前橋市のキリスト教会で洗礼を受けました。その後、東京の伝道学校、聖三一(せいさんいち)神学校を卒業しました。その頃から文学への関心が目覚め、相馬御風(そうまぎょふう)、岩野泡鳴(いわのほうめい)らの『白百合』に、小暮流星の名で短歌を投稿しています。その後、伝道師として秋田、仙台をへて、明治44年、水戸市の日本聖公会水戸基督(きりすと)教会に赴任します。その間にも、雑誌を創刊したり詩や小説を発表していますが、明治43年から山村暮鳥の筆名を使うようになり、機関誌『自由と印象』、『早稲田文学』などに精力的に発表するようになりました。
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